第4話 レンゲのしとね
あの時僕は小学何年生だったのだろう?
多分、三年生か、あるいは二年生だったかもしれない。とにかく新しい学年が始まって間もない春の日。家庭訪問で担任の先生が家にやってくるという日だった。
学校は午前中で終わって家に帰り、少し緊張しつつその時を待っていた。田舎の古い家だ。フローリングの子供部屋なんていうものはもちろん無く、僕は二階の天井の低い和室を兄と二人で共用していた。木製の引き出し付き勉強机に、杉板製の手作りっぽい本立てと、長さが30センチくらいの蛍光灯のついた電気スタンドがのっていた。
二段ベットの上に三つ年上の兄が寝て、僕は下の段。早く上の段を譲り受けたいと思っていたが、その後僕が上の段に寝た記憶はない。きっと二段ベットを上下で分割して、それぞれに普通のベットとして使い始めたのだろう。
本立てには真新しい教科書が並んでいる。特に勉強が好きだったわけではないが、国語の教科書の物語などを読むと、それまでより文字が小さくなっていたり、漢字が増えていたりして、少し誇らしいような感覚になったのを覚えている。
その日も僕はしばらく勉強机の椅子に座って大きな窓から外を眺めていた。青い空の下に、ノコギリのように起伏に富んだ山の稜線が横たわっている。横たわっているというより、並び立っていると言った方が印象をよく表しているかもしれない。幼い僕にとって、その山並みの向こうは全く知らない世界だったが、それでも、もしあの山を乗り越えてずんずん進んでいけば、平野があったり、川があったりすることはなんと無く知っていた。その先には知らない街があって、知らない人がたくさん暮らしている。もっと先には海があって、海の尽きるところには外国があるのだろう。新しい社会の教科書には外国の人たちの写真が載っていた。理科の教科書には、キリンやサイの写真があって、それは遠い外国のことだということを教えてくれていた。
先生が訪れる気配は全くない。母は階下で居間の片付けをしている気配がする。僕は、はしご段のような傾斜の急な階段を降りて外に出た。風が家の前に広がる田んぼ一面に咲き誇るレンゲを揺らしている。僕は誘われるように歩み入り、自分の体の大きさの分だけレンゲを押し倒して仰向けに寝転んだ。顔の周りのレンゲが視界に入り、空を丸く切り抜いている。そして、その濃いピンクの花は風に微かに揺れている。空に浮かんだ薄い雲はゆっくりと流れていく。時々、近くでミツバチの羽音が聞こえていた。
どのくらいそうしていただろう。僕は、いつか家庭訪問のことも忘れて寝入っていたのかもしれない。その後、先生が来たことも、誰かに呼ばれて起きたようなことも全く覚えていない。ただ、レンゲのひんやりした寝心地と、なんと無く甘い匂いと、これ以上ないくらい気持ちいい温度の微風と、眩しくないくらいの陽射しに包まれたあの感覚は、いまでもはっきりと覚えているのだ。